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2014年1月 3日 (金)

東北鈍行列車編、大震災の津波被災地をいく

※この遠征記は2012年10月のものです。

今回の遠征の目的のひとつとして、東日本大震災の津波被災地を訪問したいというのがありました。

多くの犠牲者が出た場所に、物見遊山は不謹慎という考えもあるかと思いますが、飲食や買い物をして、すこしでもお金を地元に落とすことによる復興支援と、国家的大災害を、日本人として記憶にとどめるために、現地を見ておきたかったからです。

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海岸からやや高台の宮古駅は、補修工事をしているものの、周辺も地震の被害らしきものはあまり見えません。

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三陸鉄道の南リアス線も途中まで運転再開中。
また今度乗りにきますよ!

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宮古から先のJR山田線はこの先の釜石までは不通なので、代行バスで向かいます。

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代行バスといいながら、JRの乗車券は使えずに別料金です。
宮古駅前からのバスは1時間に1本くらいですが、地元の人でほぼ満席で出発。
鉄道が不通の状況のなかで、地元の貴重な足となっているようです。

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バスは海岸線を走ります。港湾施設や堤防の工事が行なわれているものの、宮古駅から近いこのあたりは、さほど大きい被害は見て取れずに、なんだか拍子ぬけです。

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ところが、30分ほど走って、バスが山田町に入ると、景色が一変します。
町があったはずの場所が壊滅してました。
海岸沿いの平地は、津波で壊れて放置された鉄骨の建物と仮設の店舗以外、なにもありません。

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収穫後の田んぼのような秋草の茂った空き地に見えますが、すべて建物があった場所。
草のあいだから、建物の残った基礎だけが、うち捨てられた白骨のように白く見えます。

所々に見える山田線の線路も、土台や橋梁ごと流されて、壊滅的な状況に..
言葉を失うとはこのことです。ここで多くの人々が亡くなったのです。

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そんな景色のなかでも、山田湾には復活しつつあるカキの養殖イカダが並んでいました。

途中で、地元の住民が次々に降車していって、バスはどんどん乗客が少なくなっていきます。最後は自分ひとりに。

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1時間はどでバスは、途中の高台にある「道の駅やまだ」に到着。
釜石までは、ここで別の会社のバスに乗り継ぐ必要があります。

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少ない乗り継ぎ時間を利用して、海産物を買ったり、わかめ入りソフトクリームを食べたり。

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わかめソフトは、ほんのりと磯の香りがする程度で、もっとインパクトあってもいいかも。

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道の駅で次のバスに乗り継いで、釜石駅へ向かいます。

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こちらのバスはがらがらですが、途中で釜石に向かう地元住民が続々と乗り込んできました。

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大槌町に入ると、景色はより荒涼としてきます。

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壊滅したままの県立大槌病院や、多くの人が避難したショッピングセンターなど。
震災時にたびたびテレビの映像で登場した見覚えのある建物たち。

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なにもない、かつて街だったところ。

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ところどころに堆く積まれた大量の瓦礫と、それを運搬する多数のダンプとすれ違います。
地元民ばかりのバスの中から、カメラを向けるのは気が引けたため、あまり写真を撮る気にもならず、荒涼とした景色のなかをバスはゆっくりと進みます。

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宮古から釜石まで、バスを乗り継いで2時間以上かけて到着しました。
釜石の駅前も、高台のため被害はほとんどありません。
駅前の製鉄所も絶賛稼働中。
駅近くのでかい商業施設で、お土産などを物色。

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ここから石巻や気仙沼方面の鉄道も不通なので、釜石線の気動車に乗って、2時間以上かけて内陸の花巻へと戻ります。
また、このキハですね。

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沿岸部のJR山田線は市街地の高台移転のハナシなどもあるため、現在でもまったく復旧がしておらず、BTRへの転換が濃厚な状況です。
釜石からこの先にJRの列車が走るのはもう二度とみることはできないのかもしれません。

駆け足でバスで通っただけですが、震災から1年半の被災地を訪れて被害の状況に震撼としたというのが正直なところでした。
震災時にテレビで見た風景を実際に見たことによってリアルに被害の深刻さを体感できたような気がします。

この時点でも、津波被害の少ないところは、かなり復旧が進んでいましたが、流された地域は、高台移転の問題が解決しないために、とりあえず瓦礫は撤去されたものの、まったくの放置状態でした。
また、沿岸部分でも津波到達ラインの上と下の復旧状況のギャップが激しい印象でした。

地元の商業施設の人たちは元気で、人もそれなりに訪れていました。
ただ、ウニやアワビといった海産物は、地元の水揚げが復旧していないため、青森産や北海道産などが使われていたりという状況でした。

ほんとうにわずかな時間ですが、被災地をテレビだけでなく、この目で見ておくことが出来たのは、色々と考えを改めたり、再確認ができて良い経験だったと思います。

日本人として、震災を忘れないためにも、一度は訪れておくべき場所です。

また何年かしたら、再建された現地を、訪問してみたいと思います。

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花巻からはふたたび北上へ戻ります。
宿は、昨日と同じ北上駅のビジネスホテルに連泊。
晩飯は北上駅の駅弁が売り切れで確保しそこねたので、コンビニのおでんで済ませます。

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この日の行程表

三日目につづきます。

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